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私は、血圧が低めらしいけれど結構早起きしてしまう。 子供が学校へ行く8時頃までには家を整えるというようなことは大体終わっていて、 あとは、幸運にも(?)私の仕事部屋の側にある洗濯機が洗濯物を洗い上げてくれるのを待つだけ。 そういう朝の時間に、時々私は床に座りこんでいたりする。 その時の音楽に聞き入っていたり、掃除機を止めて、その場所で本を読んでいたり... 窓の外を眺めていたり、雨を見ていたり、そして頭が動き出してくる。 先日、93年のSwitchを読んでいた。表紙はジュリエット・ビノシュで 映画監督のクシシュトフ・キェシロフスキの特集、他には 北野武、丸谷才一、村上春樹、沢木耕太郎、池澤夏樹という名前が並んでいる。 1册は友人が譲ってくれたもの、そしてつい先日、 齋藤氏がどこかでとても状態の良いものを買ってきてくれたので、2册持っている。 この頃のSwitchはとても内容が濃くて、今でも時々取り出して読みたいと思う数少ない雑誌。 大きさ厚みともに、大事な1册という感じ。 今、そんな雑誌があるかなと思うと、思い浮かばない。 最近は、こんなものよね、と少々諦めながら購入しているような気もする。 クシシュトフ・キェシロフスキ『愛に関する短いフィルム』、 この映画を教えてくれた人が、この作品中の主人公の青年トメクと同じような瞳を持った人だった。 そういう意味でもとても印象に残る映画、その方は私にとても影響を与えてくれた人です。 そう言えば、子供の頃から情報も無いのに東欧世界に 漠然とした未知の世界への憧れのような思いがあったような気がする。 そんなことも手伝ってか、この映画を観たことをきっかけにキェシロフスキへの興味は募った。 レンタルで観ることのできる映画(『殺人に関する短いフィルム』除く)を全部観て、 その後、あの『トリコロール』三部作、 実は生まれて初めてのロードショーでのキェシロフスキ体験だった。 もともとドキュメンタリーや多くの映画を撮っていたと知り、 その辺りの作品も観てみたいと思っていた。 そして、今回やっと彼の初期の作品を観る機会に恵まれた。 どの作品が好きかと言うと、『愛に関する短いフィルム』(長篇の方)、 『トリコロール赤の愛』(でもこの三部作は分けて考えられないのも本当)、 『デカローグ』の最終章、『ある希望に関する物語』が大好き。 『ふたりのベロニカ』は、正直なところ、彼の神秘性という描写に ややついていけなかったところがあって、もう少し観てみたいという感じ。 そして、これらの作品のバックグラウンドに彼の初期作品が存在すると思っていたから、 彼の作品を全て観てみたいと思っていた。 今回、『傷跡』『アマチュア』『偶然』『終わりなし』を観ることが出来た。 それぞれの映画がどんなだったかと言うことは、私が話すよりも興味を持った人が 能動的に観た方が、いいと思う。そう感じさせる映画だった。 晩年と言うには若過ぎる死だったような気もするけれど、 彼の後期の映画、特に私個人としては『トリコロール』三部作が、 これらの映画を観たことで、より膨らみを持って心に響いてくるような気がした。 Switch中でキェシロフスキのキーワードというページがあり、 これはもう、とてもファンとしては喜ばしいページで、 そこには、牛乳、歯磨き、ごみ箱、電話、窓、旅行鞄などが並べられ、 多くの彼の映画に共通して、これらが登場しているという。 そう言えば、牛乳、これはとても印象的だった。 牛乳をこぼす、拭く、男性二人で牛乳を飲み干す(私は凄く滑稽に見えた)、 重そうに牛乳を運ぶ女、飲み切れなかった牛乳を捨てる男、空になった牛乳瓶.... 「牛乳、ついてますよ」という台詞もあったと思う。 (ほら、牛乳が口のまわりに白くついてしまうこと、ありますよね?) 窓際のハト、夜中にパンを食べる男、ストッキングの穴に指を入れる女.... ストーリーから離れた意味のないような事柄の使い方がなんともユニークだと思うし、 ちょっと視線を逸らした方向に、はっとする気づきみたいなものがあったり、 (シンプルに映像の美しさであったり) そういうのは職人技のような気もする。知能犯とも言うのかな。 この多くのキーワードの中で“涙”がある。 「ただ、わけもなく涙を流す。人が一切理解したことを示す証しは、ほとんどこれ以外にない。」 ルーマニア出身の哲学者の言葉だという。 キェシロフスキのほとんどすべての映画で誰かが泣いている。 “涙”のシーンの持つ静寂に、魂がふるえる。 私は、なんだか難しい映画は、好きじゃない。 キェシロフスキの映画は、国も違う、政治的背景に至ってはまともじゃないし、 もちろん彼の下したラストシーンが、全てに共感をもたらすものでもない。 彼自身が、最後の最後までラストシーンで悩み、出来上がった後も悩んでいるというくらいだから。 でも、普遍性と言ってしまっては大袈裟に感じてしまうような、 生活している人々の傍らで流れている川のような、 ‘いつもそこに在るもの’を感じさせてくれたり、思い出させてくれたりする、 そんなところに私は惹かれてしまうのだ。 + 「大切なのは、人のためになにかができるってことなのよ」(第1章ある命に関する物語) 「愛は心なのよ、下半身じゃないわ」(第9章ある孤独に関する物語) 「怖いものがなにかある?」「一人になるのが怖い」(第5章ある殺人に関する物語) 「どんな理想や思想…なによりも子供の命の方が大事よ」(第8章ある過去に関する物語) なんども読みつがれる哲学書のように、キェシロフスキ監督の映画は、 人が迷った時、ほんの少ししあわせが欲しい時、 生きていくことの最良の友としてそこにある映画なのである。 (和久本みさこ;多分?96年のフィガロのクリッピングから) + 本当にそう思う。 ペシミストで不完全でいつも迷っていて、 キェシロフスキ監督の視線はいつも人間的だったからだと思う。 「他になにも出来ないから映画を作っている」 インタビューの中、彼が言う。 「答えを急いではいけません。変化はまだ始まったばかりなのです。」 そんな風にちょっと留まって、静かに情熱的に見つめている、 彼の映画は、彼の視線、彼の視線は、人間の弱さに注がれる。 人間の弱さにこそ、神が宿っていると言う。 あなたにもっと、お会いしたかった。 Dear キェシロフスキ様 キェシロフスキ・コレクション公式サイト 東京は終わりましたが、その他ではまだ観れるようです。 + B.G.M. cocteau twins "BBC SESSIONS" |